突然の一桁気温に空気も澄んだこの季節。 山々も少しずつ、赤や黄色の衣装に衣替え。 風が吹くと、ふわっと空に流れてゆく枯れ葉たちが軽やかな音楽を奏で、 大地はあっという間に、秋色の絨毯に覆い尽くされます。 カサッカサカサカサッ。 晴れた日には、足元から響くこの時期独特の音楽を楽しみながら、 自然に帰ろうとしている庭のガーデニングを、ちょっぴり。 いじりすぎず、直しすぎない。自然の形をなるべくそのまま。 ただ冬の雪に負けてしまわないよう、少しだけ草木のお手伝いをしています。 選定した枝穂たちはもちろん、無駄になどせず常に挿し木に。 ウッドデッキの下は来春gardenデビューする挿し木babyたちで溢れかえっています。 そんな秋の日の箱根。 ある晴れた平日に、毎年恒例のガラスの森散歩に行って参りました。 ガラスの森美術館は、地元箱根町の人々にとても友好的な場所で、 町の回覧板と共に、新展示のご案内と招待券が回ってくるのです。 そもそもガラス工芸が大好きな私。 このチャンスを逃してはと覗いてみると、そこにはイタリアの欠片のような風景がありました。 何千年もの時を超えてまだその形を残している、古代ガラスたちの不思議な輝き。 薔薇水などの香油を入れていた、ちいさな瓶たちの美しさ。 手のぬくもりを感じさせるような、やわらかな形の数々。 風化して、眩い色彩に輝くその細部に目を凝らし、時間を忘れて歩き回ります。 この美術館には、楽しみが実はもうひとつ。 イタリアの音楽家たちを招いた、館内コンサートです。 そして今回も、ふと立ち寄ったその時に私を泣かせるあの曲が。 エンニョ・モリコーネの曲「Nuovo Cinema Paradiso」。そう、ニューシネマパラダイスのあのバイオリンです。 私の中で音楽とは、不思議な不思議な生き物。 形も色もない、触れられない、目には全く見えないものなのに、 一瞬にして様々なものを見せ、語りかけ、ズキンと胸の奥を打つ。 それは色彩だったり、大好きな季節のあの香りだったり、誰かに向けた想いだったり、笑顔だったり、 言葉では到底言い表せないような幸せや切なさや、この世のすべての豊かなものを見せてくれるような、そんな気持ちがするのです。 もしかすると画家にとって音楽家とは、魔法使いのような立ち位置にいるのかもしれません。 映画音楽もまた然り。時を超えてあのシーンを、そしてそれを見た時の気持ちを鮮やかに蘇らせてくれる。 ニューシネマパラダイス。眺めのいい部屋。ペーパームーン。 何度も何度も見て、もうセリフや音の鳴るタイミングまで覚えているのに、 それでもまた同じ場所で、まるで初めて見た日のように胸が熱くなり、涙が溢れてしまうあの映画たち。 大好きなガラスをみつめながら、そんな1曲を演奏されては目頭が熱くならないわけがありません。 祖国日本の地で聞けば尚更、20年間のイタリアの日々まで鮮明に浮かんできて、 演奏後、奏者の口から出たイタリア語の挨拶も心地良く...気がつくとやはりウルウルしてしまっていました。 そしてなぜか妙に体力を消耗する。涙って不思議ですね。 こんな日の後は、良いものが描ける。 すっかり風邪薬のお世話にはなっているものの、アトリエ作業は今順調に進んでいます。 秋の青空。 テラスでは揺れるコスモス。 その向こうには、ひょろ長いミニ向日葵が空に向かってニッコリ。 今年も野鳥の餌が自然発芽してスクスクと成長したものが、なぜかこの時期になってようやく開花しています。 自然のエネルギーに日々目を丸くしながら、気がつくとひとりでうっかり微笑んでしまっている、11月の始まりです。 2017年11月10日 高野倉さかえ