新しい年がにこやかな太陽を連れてやって参りました。 30mo Anniversario トレンテッシモ・アニヴェルサリオ 記念すべき年が、こうして幕を開けました。 30。 もちろん年齢ではありません。(笑) 作家生活を始めて画家としてデビューをしてから、今年で30年になります。 あの頃まだ美大生だった私は はじめての個展の準備に走り回っていました。 描いていた作品も今より大きな 当時の美大生がいわゆるよく使っていたようなキャンバスで、 唯一珍しかった点といえば、 細長や正方形の画面にひたすら草むらを描いていた事でしょうか。 「どうして草むらなの?」 友達にも初めて出会うお客様にも、よく聞かれました。 「話が長くなりますけどいいですか?」 その理由は、そう、何十年もの昔の想い出の中にあります。 4歳を過ぎた頃、 私の家族は東京の新宿から武蔵小金井という土地に引っ越しをしました。 新宿という街は、通勤する父には大変素晴らしい街だったのかもしれません。 でもちいさな子供達には、少しだけ大変な場所だったように思います。 当時光化学スモッグと呼ばれていたものの為に、 私も外で遊べずに、室内にこもっていた日がよくありました。 そんな生活を一新しようと、我が家は郊外に引っ越しをしたのです。 その引っ越しの日。 業者が荷物を積み込み始めると、父と兄は一足先に新しい家へ。 母と私は最後の荷物が積み終わり次第、 トラックを見送りつつ電車で新居へ向かう予定でした。 引っ越し業者の方々が手際良く仕事をこなすと、あっという間に荷物は片付き、 さぁそろそろ出発かというその最後の瞬間。 「あれっ?!」 大好きな三輪車がトラックの荷台に積み込まれていくではありませんか! 決定的瞬間を見てしまった幼い私は訳も分からず、 ただただ宝物を取られるとでも思ってしまったのでしょう。 「しゃんりんしゃがーっ!!!」 と、大泣きし始めてしまいました。 困り切った母は、何を言ってもきかない4歳の娘と共に、 終いには三輪車を積んだ引っ越しトラックにお邪魔して、新居に向かうこととなりました。 乗り物酔いの酷かった娘との旅は、さぞかし大変だったのではと思います。 そして数時間後。 ボロボロの体調で到着した新しい街には、 新宿にはなかった緑と美味しい空気がありました。 やわらかな風がたくさんの草むらを揺らしているその郊外の一角に、 幼いながらにとても驚いた覚えがあります。 それからというもの、私はいつもどこかの草むらで遊んでいました。 公園に行っても、整備された場所にはあまり興味がなく、 思い切り楽しいのは、雑草の生い茂る片隅。 幼稚園に行かなかった私は、近所のお友達が皆幼稚園や保育園に通っている間、 ひとり楽しく、公園の片隅で草むらの香りを楽しんでいました。 「珍しい子だねぇ。ひとりで寂しくないの?」 ベンチで日向ぼっこをする近所のおばあさん達が声をかけてきます。 「うん大丈夫!とっても楽しい!」 幼い頃の日々を過ごした草むら。 大地に寝転ぶと、そのちいさな草むらの中にはまるで小人が住んでいるようでした。 ジョウロで水を流すと、それがだんだん川となって草むらの中を流れ、 小枝や楊枝で作った橋をかけると、妖精がそこを渡ってゆくような気がしていました。 小学校に上がるまでの数年間、そうして過ごしていた時間が、 私にとっての極上のパラダイスだったのでしょう。 絵を制作し始めた時にふと、猛烈に草むらを描きたい衝撃に駆られたのです。 そして遠いイタリアに行っても、事態は全く変わらず、 オリーブ畑や葡萄畑に覆われた大地の緑にさらに感動し、 20年の時が過ぎて祖国に帰国した今でも、私は変わらず草むらを描いています。 そうして時が流れ、今年は作家生活30周年。 歩いてきた日々を懐かしく思い出しつつ、 アトリエでは今日も絵の具だらけの手で、春の記念展に向け制作に励んでいます。 澄んだ冬の空気が美味しい、朝のアトリエより。 2019年1月14日 高野倉さかえ